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2017年9月12日 (火)

富田木歩

富田木歩という俳人がいる。
明治の後期に生まれ、関東大震災で若くして亡くなった。

世の中にこんな不幸があるのだろうか……

と思ってしまうぐらい、薄幸の人でもある。
東京の下町(向島)に生まれたが、貧乏で姉や妹は花街へ。
本人も幼少期に熱病で両足が動かなくなった。

「木歩」という俳号も、そこから来ている。

妹が病床にあるときの句――。


   かそけくも喉鳴る妹よ鳳仙花   木歩


   死期近しと夕な愁ひぬ鳳仙花  木歩


あまりにも有名な代表句だ。当時は「俳壇の啄木」とも言われた。


他にも、辛い句は多い。
ひと言で言えば「不遇の人」でもある。
句も、切ない。神も仏もあるのか……という人生である。


   母のみとりに仏灯忘る宵の冬  木歩


   病み臥して啄木忌知る暮の春  木歩


   我が尻に似てしなびたる糸瓜かな  木歩


   人に秘めて木の足焚きね暮るる秋  木歩


   枸杞茂る中よ木歩の残り居る  木歩





抒情の中にある悲哀。どの句にも「悲しさ」が漂っている。

関東大震災で、周辺は火の海となった。
歩けない木歩は親友の新井声風に背負われて、隅田川へと逃げる。

しかしそこに堤防が……。

立派な成人でもある木歩は、足は動かなくとも14貫あった。
声風も、友を背負って堤防を登ることはできない。

仮に登ったとしても隅田川は地震の影響で濁流が渦巻いていた。
木歩は泳げない。

すぐ後ろまで火の手が迫ったとき、声風は、

「木歩、許してくれ。もうここまできては、どうにもならない」

と手をさしのべた。木歩は黙ったまま手を握り返したという。
二人の目には涙が溢れていた。

次の瞬間、声風は隅田川に飛び込んだのだった。
富田木歩……27歳のあまりに悲しい生涯だった。


だから木歩は、遺体も遺骨も残っていない。
声風と別れた場所に「木歩終焉の地」の碑があるだけだ。

横になっている写真だがご容赦のほど。



P8011625







一周忌に、近くの見囲(みめぐり)神社に墓と句碑が建てられた。

P8011642

P8011643




   堤防の砂は銀色木歩の忌  一行


   木歩忌や何ごともなく向島  一行


   大川の嵩は増えをり木歩の忌  一行










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