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2017年9月

2017年9月28日 (木)

野澤節子③

上京の日が近づき、少々焦り気味。
向こうでは、こんなにゴロゴロできないし、
そもそも東京は、よく歩かされる。

いま、かなり足が弱って来て、少し歩くと翌日寝込む。
「体力」がなくなっているのだろう。

整形外科でリハビリを始めたが、腹筋背筋の「体幹」のインナーマッスルが細っているらしい。
まずそこから鍛えないと、腹筋や背筋のトレーニングも意味がない。

のんびりやればいいとは思うが、気の滅入ることだ。


   柘榴みて髪にするどきピンをさす   節子


   秋風が眼ふかくに来て吹けり   節子


   曼珠沙華忘れゐるとも野に赤し   節子


   われ病めり今宵一匹の蜘蛛も宥さず   節子


   三日月の光る鼻梁の凍りけり   節子



……東京で無事、仕事ができるように。


   古本に誤植のありて火の恋し   一行


   島よりの波とどきをり火の恋し   一行






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2017年9月27日 (水)

野澤節子②

野澤節子の句を読んでいると、
「自然」に抱かれているような気持ちにもなる。

「人事」の句もあるが、少ない。

「天文」「気候」「動物」「植物」……歳時記でこのジャンルに入る季語が多い気がする。


   哄(わら)ひゐるこころの底のきりぎりす   節子


   己が白き抜羽眺めて羽抜鳥   節子


   けもの来て何噛みくだく夜の落葉   節子


   小春日や生毛(生毛)まみれの虻とあり   節子


   いまありし夕日の跡の冬霞   節子


   枯れし萱(かや)枯れし萱へと猫没す   節子




古くからある自然が少なくなり、俳句は人事、機知、俳諧味が
主流になってきた。

と言う人もいる。
実際その通りだとも思う。

しかし、人事の句には抒情が薄い。

どういう形にせよ、抒情性のない俳句を私は好まない。



   壺に真白降雪前に剪りし梅   節子



リフレインの使い方が絶妙だし、漢字と仮名のバランスもいい。



   春灯にひとりの奈落ありて坐す   節子



素朴に、「いいなあ」と思う。






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2017年9月25日 (月)

野澤節子①

清純にして純潔な抒情……

野澤節子の俳句は、こんなふうにもいわれる。
病弱だったせいもあり、句は「骨太」ではない。
ピュアなのだ。


   青萩の袖染むばかり勿来越ゆ   節子


   睡蓮の白いま閉づる安堵かな   節子


   せつせつと眼まで濡らして髪洗ふ   節子


   さきみちてさくらあをざめゐたるかな    節子

   をさなくて蛍袋のなかに栖む  節子






老病死を詠みながら、「生」への強いまなざし。
写生句が多いのだが、視点の凄さ。

なかでも私の好きな一句――。


   蟷螂の青き目のうちより視らる   節子


ぞくっとする俳句だ。
健康的ではない句群が、暗くではなく、じわっと迫る。

自分自身、あちこちおかしくなっているだけに、
身にしみるものがある。

句集を何冊か入手した。自ら、はまってみよう。


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2017年9月23日 (土)

曼珠沙華

このあたりは二毛作で、稲刈りも遅い。
いま、真っ盛りという感じだ。
畦道には曼珠沙華。

気候の変動などで、開花時期がだいぶずれる花が多いなか、
この曼珠沙華だけは、測ったように秋彼岸の頃に咲く。

だから、彼岸花。

それまで何もなかった畦道に、2、3日で、すーっと茎が伸びる。
しかしこの段階では稲や他の雑草にまぎれて気づかない。

ある朝、ぽっと深紅の花が咲き、夕方には広がっていく。
不思議な花だ。

10年少し前に、「俳句でもやってみようかな」と思った。
季語も、まともに知らない。季重なりなども知らなかった。

……で初めの頃につくった句が。


    過去などは捨てたつもりの曼珠沙華   一行



実はこの句、けっこう気に入っている。
稚拙ではあるが、こういうテイストの句をつくりたい。


   曼珠沙華消えたる茎のならびけり  後藤夜半


   死人花にてひとつだにうつむかず  金谷信夫


   曼珠沙華俄かに畦の高くなり   石田勝彦


   突き抜けて天上の紺曼珠沙華    山口誓子






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2017年9月18日 (月)

季節はめまぐるしく……

1カ月ほど前は蒸し暑かったのが、今日は21度。
台風も四国に上陸した。

これからすこしずつ「冬」に向かうのだろう。

最近は「秋」が短い。

周囲はほぼ稲刈りが終わり、虫時雨の毎日だ。
バッタも元気に跳んでいる。空には赤蜻蛉。



  とんぼうの空に浮かんでゐる自由  一行


  秋茜こゑもなく飛ぶ青空を   一行


  颱風や引き連れてくる迷ひごと   一行


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2017年9月16日 (土)

エミリ・ディキンソン

エミリ・ディキンソンの映画が、細々と上映されている。
しかし、客足は鈍く、そろそろおしまいになりそうだ。



四国には来ない。



もしも私が、本を読んで、身体全体が冷たくなって、
どんな火でも暖められないと、
ああ、詩だと分かります。
まるで私の身体から、頭の先がぶっちぎれたように感じたら、
ああ詩だと思うのです。
これだけが、私の、詩を知る方法です。
他に方法があるでしょうか。
           ――エミリ・ディキンソン


  エミリーの透明な文字夜長かな   一行


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2017年9月13日 (水)

富田木歩②

木歩……病苦、貧困、そして震災死と、悲しすぎる人生だが、
今こうして、俳句をつくる人の記憶に残っているということは、
彼にとっては「救い」だったのかもしれない。


   ひとり居て壁に冴ゆるや昼の影   木歩


   泣きたさをふと歌ひけり秋の暮   木歩


   秋の夜や人形泣かす一つ宛   木歩







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2017年9月12日 (火)

富田木歩

富田木歩という俳人がいる。
明治の後期に生まれ、関東大震災で若くして亡くなった。

世の中にこんな不幸があるのだろうか……

と思ってしまうぐらい、薄幸の人でもある。
東京の下町(向島)に生まれたが、貧乏で姉や妹は花街へ。
本人も幼少期に熱病で両足が動かなくなった。

「木歩」という俳号も、そこから来ている。

妹が病床にあるときの句――。


   かそけくも喉鳴る妹よ鳳仙花   木歩


   死期近しと夕な愁ひぬ鳳仙花  木歩


あまりにも有名な代表句だ。当時は「俳壇の啄木」とも言われた。


他にも、辛い句は多い。
ひと言で言えば「不遇の人」でもある。
句も、切ない。神も仏もあるのか……という人生である。


   母のみとりに仏灯忘る宵の冬  木歩


   病み臥して啄木忌知る暮の春  木歩


   我が尻に似てしなびたる糸瓜かな  木歩


   人に秘めて木の足焚きね暮るる秋  木歩


   枸杞茂る中よ木歩の残り居る  木歩





抒情の中にある悲哀。どの句にも「悲しさ」が漂っている。

関東大震災で、周辺は火の海となった。
歩けない木歩は親友の新井声風に背負われて、隅田川へと逃げる。

しかしそこに堤防が……。

立派な成人でもある木歩は、足は動かなくとも14貫あった。
声風も、友を背負って堤防を登ることはできない。

仮に登ったとしても隅田川は地震の影響で濁流が渦巻いていた。
木歩は泳げない。

すぐ後ろまで火の手が迫ったとき、声風は、

「木歩、許してくれ。もうここまできては、どうにもならない」

と手をさしのべた。木歩は黙ったまま手を握り返したという。
二人の目には涙が溢れていた。

次の瞬間、声風は隅田川に飛び込んだのだった。
富田木歩……27歳のあまりに悲しい生涯だった。


だから木歩は、遺体も遺骨も残っていない。
声風と別れた場所に「木歩終焉の地」の碑があるだけだ。

横になっている写真だがご容赦のほど。



P8011625







一周忌に、近くの見囲(みめぐり)神社に墓と句碑が建てられた。

P8011642

P8011643




   堤防の砂は銀色木歩の忌  一行


   木歩忌や何ごともなく向島  一行


   大川の嵩は増えをり木歩の忌  一行










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2017年9月10日 (日)

秋である

昼間の風も涼しくなった。やっと秋が来たようだ。
11月になると寒くなり始めるから、この期間は貴重。
バイクで走るには最高の季節である。

ただ、どうも気持ちと体がついていかない。
人間はこんなふうに老いるのだろうかと、
暗いことなど考える……。

   残る蚊の歩くテーブルクロスかな  一行

   松の葉の尖りて秋の彼岸かな  一行

   みづからの影と別るる竹の秋  一行




いま、ちょうど「虫時雨」の季節。
そしてそろそろ収穫だ。もう稲穂は実っている。



   田の風はぬるさを含み稲田かな  一行



自分の俳句を詠んでいきたい。
そして、それなりの賞も欲しい。

あまり熱心にやってないから、この年齢からでも難しいが、
チャレンジは続けたい。








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2017年9月 8日 (金)

エミリ・ディキンソン③

エミリ・ディキンソンの詩は膨大で、まだ活字化されてないものもある。
その中のいくつかを集めた『わたしは誰でもない』という最新詩集。



  口にだしていうと

  ことばが死ぬと

  ひとはいう

  まさにその日から

  ことばは生きると

  わたしがいう



漢字とひらがなの配合が絶妙だ。





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2017年9月 7日 (木)

エミリ・ディキンソン②

エミリ・ディキンソンの詩は、恐ろしく難しい詩と、
拍子抜けするように分かりやすい詩がある。

どちらも、エミリ・ディキンソンなのだろう。

視線は、心の中に、あるいは世の中に、
気持ちの趣くままに動く。
そしてそれが、短い詩に昇華する。



  法悦の一瞬ごとに

  わたしたちは苦悩を支払わなければならぬ

  その法悦に呼応する

  激しく身のふるえる割合で。



  愛される一時ごとに

  長年ためたわずかな収入――

  辛い争いをして得たはした金――

  涙でいっぱいの銭箱を!



     *




  静かな海が家の周囲を洗う

  夏の大気の海が――

  不思議な木造船が上下して

  運ばれるままに漂う

  船長には蝶が

  操舵手には蜜蜂が

  そして全宇宙はといえば

  大喜びの乗組員だ


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2017年9月 6日 (水)

エミリ・ディキンソン

エミリ・ディキンソンの映画が公開中らしいが、
四国には、やってこない。

こういうとき、東京のありがたさを思う。

しかし少しすればDVDが売り出されるだろう。



  とある季節があり

  そこでは年月は夏至を侵さない

  太陽は永遠に真昼をつくり

  完全な季節がそこに従う



学生時代この詩を「栞」の裏に書いていたのはおぼえているのだが、
その栞がない。

たぶん、何かの詩集の挟まれているのだろう。

当分、出てきそうにない。


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やっと涼しくなってきた……

9月になってだいぶ涼しくなってきた。
網戸にしておけば、夜間のエアコンはいらない。

だが人間は弱いもので、エアコン慣れした体は
簡単にもとに戻らない……。



    臥せる日の左脳の重さ夜長し   一行


    眠らうとして蟋蟀の声に寄る   一行


    虫時雨なにかに感謝するやうに   一行




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