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2015年5月 3日 (日)

「角川俳句」で推薦

月刊「角川俳句」の投句欄で、
4月号、今井聖先生の「推薦5句」に選ばれた。

     途中より水あらはるる冬の滝   一行


見るということは概念のなぞりではない。誰もが目にしていても
なかなか詠えない視点。俳句の手法「写生」の真骨頂は
本来ここにある。

……と絶賛である。

ちょっとがんばる気が出てきた。


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コメント

 「月刊俳句」今井聖先生の「推薦5句」に選ばれたとのこと、おめでとうございます。図書館で見ようと思っているのですが、5月号が出たことで、どこの図書館でも貸出解禁になったらしく目にすることができないのが残念です。

 まだまだ初心者なので、まっとうな鑑賞はできないのですが、それでも自然を見つめて俳句を作りたいと思っている私には、とても共感できる句です。

 ちょうど2年前、ひょんなことから俳句に興味を覚え、故藤田湘子先生の入門書「20週俳句入門」を読み、昨年の1月から愛弟子であった小澤實先生主宰の「澤俳句会」に入会しました。その後、あまり真面目に取り組んでおらず、毎月10日の投句〆切には、適当に言葉を組み合わせた駄作を、心苦しく思いながら送っています。

 本来なら「自然の豊かな場所で風景画を描き、描ききれないところを俳句で切り取ってくる」のが理想ですが、なかなか思い通りにはなりませんね。

 俳句を作ることはともかく(句会や吟行に参加すればなお良いのでしょうね)、句集や俳句・短歌関係の書籍に目を通す、NHK俳句を観るなど、容易にできる「俳句のが身近にある環境づくり」を心がけないといけないと、ようやく気づき始めました。

橋本さん メッセージありがとうございました。たしかに、投句だけではなかなか上達しないですね。とくに我々はそれなりに歳くってますから、そう感性豊かな言葉もでてきませんし……。
そこで僕は数年前、「1日5句」をノルマに半年以上続けました。
ほとんどが駄句ですが、これだけつくると、月に2、3は「おお」というのがある。(◎´∀`)ノ

余裕があれば、NHK俳句を観たり、俳句雑誌を何か1誌、毎月読むとか、あとは句会ですね。

 メールやSNSのメッセージでは煮詰まってしまうので、先日はあまり長々とやり取りしませんでしたが、こちらでは少しやり取りさせていただきます。

 毎日5句!毎月6句投稿するのにふうふう言っている私とは比較になりません。巧拙以前のこと・・・高浜虚子、波多野爽波、藤田湘子などの多作多捨?に迫るものがありますね。

 そういえば、藤田湘子先生の入門書に「毎日1句は難しいが毎月30句、3年で1000句作りなさい。どう作るはそれからでよいです。」という解説がありました。もっともだとは思いましたが、この2年間で100句届いたかどうか???

 家内の出不精を言い訳にして、風景画スケッチも俳句もさぼっていて、特に俳句に対する情熱の火が消える寸前なのですが、今回のブログを拝見し、改めて気持ちを入れ直すきっかけにします。そろそろ、澤俳句会の句会とか通信句会にもアプローチしようかと思います。

橋本さん まさに「多作多捨」をやってみたのですが、弊害もありました。「つくること」がノルマになり、惰性で只事俳句ばかりになったことです。
ですので、今は1日2-3句にしています。
手帖に日付を書いていき、そこに句をつくる……。まったくつくらない火もあれば、10句も20句も作る日もあります。
体調がいいときは、いい句ができますね。


ここ2、3週間は、あまりつくっていません。ですので手帖の日付は4/30までしか
埋まっていません。

やっぱり句会にでないといけないなあ、と
思っているところです。

 済みません。だらだらコメントを続けていますが、体調大丈夫ですか?

 「多作多捨」の弊害、一度味わってみたいです。このところ、気が付くと、投稿締切日まで2,3日。そこで、スマホの写真を改めて眺めながら、キーワードを数個書き出し、それらを適当に五七五に作り込み、なんとか6句できあがることには、気分も少し乗ってくるので、慌ただしく推敲、ということを繰り返しています。あまりにも空しい時は投稿をしないのですが、それはそれで、結社誌が届いて選されないと寂しい、というなんともレベルの低さです。

 それよりも、近場でよいから、ゆったりした時間に身も心も置き、光景、音、匂い、風のそよぎを感じながら文字を書き留めたほうが、絶対いいですね。その時のことは、今でもありありと覚えています。

 句会も参加したいのですが、自信のなさで逡巡しています。小林 恭二「俳句という遊び」「 俳句という愉しみ」などを読むと、本当に憧れます。もっとも、当代きっての俳人が静かにバトルを展開するから面白いのであって、ここまでの境地に達することは無理だと思いますが・・・

 言い訳になりますが、「風景画で描ききれない情景を俳句ですくいたい。だから、巧拙は後回し」と思っています。ただ、自己満足ではよくないので、俳句結社に入会し、「いかに選されるかどうか」も楽しみにしたいと考えています。だから投句が楽しめないのかもしれません。

 句会や通信句会も、そろそろ考えてみます。参加するとなれば、嫌でも作句の数は、確実に増えますからね。後は主宰の先生に限らず、同人の方々やみなさんのご指導や取り組む姿勢には、素直に学びたいと思っています。

 昨年の秋から、地元で「楽楽自分史サークル」という、児童文学作家の先生を講師に、自分史執筆グループ活動を進めています。「文章の書き方は教えません。自分が何をどのように書きたいのか?それを大切にしてください。お互いの意見交換も評論ではありません。他人の原稿に対する感想を、次回の執筆に活かしてください」と言われています。

 文芸と自分史は取り組み方は違うとは思いますが、もしかしたら、俳句もこのようなところに繋がるものがあるのかもしれませんね。

 「俳句で表現したいものはなにか?」「如何に選者に選してもらうのか?」「自分なりに俳句の世界を磨き上げ、その結果として、他者にとっても共感してもらえるものとなるか?」・・・ちょっと理屈が先走っているようなので、実作に励みます。

橋本さん
体調は相変わらず、といったところです。「病弱でよく寝込む」という表現が小説などに出てきますが、考えてみるとそんな感じですね。
俳句で大事なのは、「自分は何を表現したいか」だと思います。周りが自然に囲まれていても、できないときは一句もできません。

僕は風景などもそうですが、「文字」から刺激を受けてつくるタイプだろうと思います。
「今日はつくるぞお」
というときは、俳句雑誌や句集、そして歳時記を出してきて、
そこにあるコトバからイメージを広げていきます。
句友が、「そういう作り方もあっていいと思いますよ」と言ってくれました。
とくに歳時記は、全部暗記するぐらい読み込めと言われますね。
最近は電子辞書になりましたが、
僕も1冊目の歳時記はぼろぼろになりました。

 2つのコメントにお付き合いいただき、失礼しましました。お疲れ様です。そろそろ小休止しますか・・・

 私は(と、片山さんと比較するのはおこがましいのですが)、正直なところ、言葉に鈍感なのかもしれません。むしろ古典の和歌のほうが少し味わえます。でも、短歌を作れないから俳句を作る、という変な関わりをしています。

 あと、振り返れば、風景が先にきます。風景を目の前にして、そこにピッタリの季語があれば満足してしまいます。でも、それでは俳句にならないので、メモ風に季語以外の言葉で情景を書いて、後は言葉の落ち着きどころを見つけるというやり方です。もしかしたら、根本的に間違っているかもしれません。

 藤田湘子先生の入門書に、
(上五)   +(中七)  +(下五)
(季語+や)+(    ) +(名詞)
という形で沢山作りなさい、と最初に解説があり、まだまだそれから脱し切れていないようです。どうしても形にならない場合は変形させています。

 風景に季語をあてはめると言っても、最近は、索引でちょっと探し、それをはめ込んでしまうという体たらくで、今のままでは永久に新品同様のままです。先日、前に買ったことのある、山本健吉「基本季語五百選」を開いてみました。解説が豊富で、調べるよりも読み物ですね。いつか読破したいと思うのですが。

 まだまだ書きたいことはありますが、今回はここまでにしますね。また気が向いたらコメント欄に登場します。逆に、話し相手をしろ、とおっしゃればいつでも出てきます。

 お体、お大事に。

 

橋本さん たびたびどーも。湘子先生のその本は、僕も読みました。要するに

***や****の「名詞」

とすると、いかにも俳句っぽくなるということなんですよね。
初心者のウチは上五を「や」で切ると、「型」ができます。

しかしそこで終わると、平凡な俳句ばかりになります。
僕も最初は「や」「かな」「けり」をよく使いましたが、
最近はおさえるようにしています。

また、およそ世の中の事象はすべて季語と言っていいfぐらいですので、
今なら、「立夏、夏立つ、」「夏めく」「薄暑」……「こどもの日」「鯉のぼり」「母の日……「あじさい」「石楠花」「牡丹」……とまあ、周囲はほとんど季語だと思ってかかったほうがいいですね。
これは都会でも同じです。
風景を見ると、たいていは季語です。「暑し」もそうですし……

で、この季語を「見る」「観察する」……

知り合いの句に、
   匙ひとつほどの土盛る蟻の穴

というのがあります。名句ですね。よく観察しないと生まれない秀逸な写生句です。

 ゆゑあつてこの街にゐるつばくらめ  一行

お粗末でした。scissors

 コンディションが万全でないようなのに、お付き合いいただきありがとうございます。

 これからも、こちらに顔を時々出しますがfacebookで友達となりましたので、そちらでも情報交換(俳句については教えてくただくことばかりと思いますが)をしていきたいですね。

 よろしくお願いします。

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