2018年12月11日 (火)

帷子耀「スタジアムのほうへ」

帷子耀は、それまでの詩の概念をぶちこわすような詩や文章を数年書いた後、『草子 別 スタジアムのために』という詩集だけを残し、ふっと、詩の世界から消えた。
 
詩集の前半は、三角形や四角形の、挑戦的なわけの分からない詩だが、
途中からガラリと変わる。
 
(ひとあし先の無心が)
 
たちまち内臓にこしらえる
まめ
のただしさ
無心のあとを心が
あるきすぎているということ
 
 
夢中の冬
夢中できみの両の手の中の鳩に火をつけると
鳩は
常緑の枝の折れ口へ
まっすぐにとぼうとしてまっすぐに
増水した
雪たまりの苦みに落ちる
出血することで
流された
樹液と
流れている
樹液の
へだたりをためそうとして
鳩の

鳩に


 
 
少女がいる
少女がいない
 
 
みとる者はみぬかれまいとしてみつめる
みとられる者はただみる
高熱は
みとる者に
だが
すきとおって深い高山と同じ熱は
みとられる者に
それぞれめぐる
 
 
希望とは
なみなみと
プールにガソリンをたたえておおくこと

しずかに
うばうように
いう
少女
 
 
砂に
無垢がふれると
砂の
悲鳴
風が
無垢に触れると
風の
悲鳴

……
 
 
今までにないゆるやかな言葉遣いで、一人の少女へのオマージュがつづく。
攻撃性もなく、言葉がゆったりと川の流れのように流れていく。
 
彼はこの詩集の帯にこう書いた、
 
ここには別れがある。詩との別れがある。それはしへむかう別れである。詩らしさとしのへだたり。みることがここではそのままへだたりとなる。別れをここにみるということ。
 
事実、この詩集以来、彼は詩を発表していない。自ら幕を引いたのだろうか……。






http://ikkomsk.my.coocan.jp/

   ↑
開店休業状態のHP。旅日記と詩をアップしたくて
10年ほど前につくった。
稚拙な「つくり」だが、気が向いたらぜひ。




俳句ブログランキング

2018年12月 5日 (水)

詩ひとつ

これは5年ほど前に書いた詩の一部。



夢が足もとからもやもやと旅立っていくとき
悲しい少年はどこへ向かっているのだろう
北か南かあるいは地下か空かそれとも
誰も知らない洋館のどこかの部屋か
誰かが必ずそれを知っているのだ
おそらく握りしめるように強く
そのとき決まって屍の中から
一匹の黒揚羽蝶が生まれて
秋空へ吸い込まれてゆく
たぶん、行くのだろう
空中に道が出来て
いつの間にか夢
いつの間にか
形をなくす
いきなり
何かが
流れ

私は
進んで
前向きに
向かう先は
明るい闇夜だ
闇はじっと震え
あじさい色に沈む
すべてが錆びた後も
昏い花芯が生きのこり
そこに私が寄り添っている
枯れたはなびらは踏み砕かれ
饐えた匂いだけがあたりに残る
当たり前のように残り続けるのだ
そうして蟬の脱殻に憑依した匂いは
数日のいのちのあとに消え去っていく

ここに誰もいなくなったとしても
私の涙のためだけに地上はある
そんなときでも鳶は太陽を目指し
私との距離が少しだけ広がった





http://ikkomsk.my.coocan.jp/

   ↑
開店休業状態のHP。旅日記と詩をアップしたくて
10年ほど前につくった。
稚拙な「つくり」だが、気が向いたらぜひ。




俳句ブログランキング

2018年12月 2日 (日)

帷子耀、再び

告別


斃れ
皇道を
家を出て
桜花舞わす
さくらとなれ
非合法に静もり
むやみに黄いろな
蠅取紙にゆらゆれる
生きようとする花と蝶
もがれた翅を集めじっと
病みほうけた精神を灼かれ
極北圏第一ゲートを反芻する
わたしのようにまどろんでいた
私服をかじかむままみうつぶせに
奢りおしひらく農民あがりの神の父
あたらたらちねなまじまぬ撫肩男色が
火の種子ことごとくを植えおいた岩屋に
暗流する鼠のなみだで泉じみた観念を割り
白夜 混紡のように立ちつくす二足獣家畜と
ピースにか火を点けみずからの労働の顔つきを
あぶりだす真蒼な嘘が熟れるのを視たなら
視たといえ!西部劇や村でも視たように
むざむざとむらむらと痔よりも不毛な
血を曳く語尾を酷く濁し波紋を消し
冬宮への道を生き急いだ連体旗と
語尾の<尾>をいきなり振った
南通用門前でさくらとなれ!
しらを切る顔を切りいまだ
むらさきに縛むる殺意は
泡立ちやめずかに股を
しめやかにまさぐり
拍手でない乱打に
拍手を送れ!豚
あなたの事だ
非常階段の
手すりを
穢多が
磨き




言葉が言葉を呼び寄せ、まがい物のような世界が構築される。
韻を踏んだり七五調を忍ばせたり……。

だが彼はこういう詩を数年でやめる。

そのことは後日。



http://ikkomsk.my.coocan.jp/

   ↑
開店休業状態のHP。旅日記と詩をアップしたくて
10年ほど前につくった。
稚拙な「つくり」だが、気が向いたらぜひ。




俳句ブログランキング

2018年11月30日 (金)

また続 『凡そ君と』

肇さんの『凡そ君と』は、新しさと渋さが渾然一体という感じ。
こういう句をつくりたいものだ。
来年は句集をまとめるかな……。

ただ私は、「銀漢」と「麦の会」に入っており、
句柄もまったく違う。

そのなかで、「これが一行の句だ」というものを
300揃えるのは、大変と言えば大変。

過去、雑誌投稿で選ばれたものを拾い上げるかな……
いやこれも、バラバラになるだろう。
いっそ、「バラバラです」を売りにするか。


   鵙の贄空におぼるるごとくあり   肇


   水音や猪垣錆びし峡の村   肇


   ポケットの中でぶつかり合ふ胡桃   肇


   よろよろと来て銀杏を踏みしだく   肇


   閉山の鉄路の果ての草紅葉   肇





http://ikkomsk.my.coocan.jp/


開店休業状態のHP。旅日記と詩をアップしたくて
10年ほど前につくった。
稚拙な「つくり」だが、気が向いたらぜひ。




俳句ブログランキング

2018年11月29日 (木)

続・凡そ君と

堀切さんとは句柄も違うのだが、肇さんの『凡そ君と』も
しみじみと、いい。



   凩のしばらく谷戸にひくくあり   肇


   河豚捌くとき元寇の海荒るる   肇


   神留守のちひさき嘘を見破らる   肇


   魚塚の幣あたらしき一の酉   肇


   縄張りの縄まだゆるき池普請   肇

神の留守の句など、最高ですねえ。見習わなければ。

http://ikkomsk.my.coocan.jp/


開店休業状態のHP。旅日記と詩をアップしたくて
10年ほど前につくった。
稚拙な「つくり」だが、気が向いたらぜひ。




俳句ブログランキング

続・尺蠖の道

堀切さんの『尺蠖の道』には、感心させられる。
やっぱ、才能だろうなあ……。


   この清水よき酒となり蕎麦となり


   階段を軋ませてくる夏料理


   はんざきの肘直角に来りけり


   追分の風も二手に夏柳


   打水のあと足音の変はりけり


   箱庭に銀河のごとく細石






http://ikkomsk.my.coocan.jp/


開店休業状態のHP。旅日記と詩をアップしたくて
10年ほど前につくった。
稚拙な「つくり」だが、気が向いたらぜひ。




俳句ブログランキング

2018年11月24日 (土)

紅葉……

ようやく「冬に入る」という感じである。
いま午前4:20ほど。たぶん10度以下だと思う。

猫のあずは大丈夫だろうか。
さっまで部屋にいたのだが、こちらも寝なければならないので、
涙を飲んで出て行ってもらった。
「にゃあ」と小さく泣いた。

ごめんな。


   数へ日の理髪屋の指よく動く   一行


   しぐるるや細くかさなる象の皺   一行


   紅葉且つ散るとき風の起こるとき   一行






http://ikkomsk.my.coocan.jp/


開店休業状態のHP。旅日記と詩をアップしたくて
10年ほど前につくった。
稚拙な「つくり」だが、気が向いたらぜひ。




俳句ブログランキング

2018年11月21日 (水)

冬隣

冬隣
という季語がある。ちょうど今頃。


   象の足おりたたまれて冬隣   一行



こういう「詩」のある季語はいいなあ。





http://ikkomsk.my.coocan.jp/


開店休業状態のHP。旅日記と詩をアップしたくて
10年ほど前につくった。
稚拙な「つくり」だが、気が向いたらぜひ。




俳句ブログランキング

2018年11月19日 (月)

尺蠖の道 またまた

堀切さんの句は、わかりやすい。
しかし説明にならず、「へえ、こういう視点が」というものがある。

いずれ大きく成長するだろうなあ……

   母の日の永遠といふパーマかな


   くしやくしやの艶書のごとき白牡丹


   雨蛙葉を揺らさずに葉のうえへ


   あぢさゐのきのふの色を忘れたる


   ふんどしの近づいてくる祭かな





http://ikkomsk.my.coocan.jp/


開店休業状態のHP。旅日記と詩をアップしたくて
10年ほど前につくった。
稚拙な「つくり」だが、気が向いたらぜひ。




俳句ブログランキング

2018年11月16日 (金)

大昔の詩を


以下は、1,970年初め頃、高校二年生の冬に書いた私の詩。
『おそらく、海からの風』に収録したときには若干手直しをしたが、
ほぼそのまま。

いまはこういう詩は書けないなあ。

流れる 1970

砂埃が
悲しみを超え
喜びなどみじんもなく
音もたてずにあくまで静かに
白味を帯びた情感だけを残して駆け抜けていった
長編小説が終わる場所で
砂塵に巻かれたものは
真実でも嘘でも
あるいは存在でも消滅でも
若者でも老人でも狂人でもない
おそらくないのだ……ろう

午後
流れすぎていったはずのものは
痕跡すらも残っていない
残してもいない
私の麻痺しかけた舌や眼では
今も流れているはずの漠然とした何かが
いつまでも
い つ ま で も
落ちてゆく
のぼってゆく
走ってゆく
おそらく ゆくのだろう
それは
街か
雨か
希望か
勇気か
時間か…………
そして結局わからなくなり
私であるだろう私がここに流れずに残っている

今 今 今 今 たった今
此処 此処 此処 此処 まさに此処で
こうして立っている いた いない いよう……
むなしく繰り返される活用形
しだいに私の意識は薄くなる なる なる なる
なろうとする
薄くなって濃くなって
再び薄くなって
あてどもなく繰り返す

私の中に流れているものは
決断力
責任感
不安
理性
知性---
そしてそれらすべてを包んでいる無意識
だとしたら結局私の中には何が流れているのだろう
かたくなに なに なに なに
流れることを否定している私がいる
それはあるいは私ではない誰かがいる

移り変わり流れ去って行ったはずのもの
それにどんな名前を与えようか
たわごと
あるいはポーズ
あったかもしれないものは
なかったかもしれないのだと
思ったのか
思わなかったのか

私は泣いたのだろう
あるいは泣かずにいたのだろうか
私はそれを決められずに
どうでもいいと思おうとする
どくどくと音にならない音をたてて
感覚のなくなりかけた骨と肉の間を
今も流れているだろうものは
あるいは いただろうものは
何だったのか
あるいは何なのか
安眠のなかで私の意識は今も止まっていて
こうしてじっとしている いない いるのだろう
再びあてどもない活用

慣用句と引用ばかりの会話が延々と続く
続いている
いるのだろう
私の原稿用紙は校正されて真っ赤になっている
歩いてきた跡には
手を入れられた言葉が累々ところがっている
どこへ向かうのか
言葉の切れっぱし

海がある
波が打ち寄せ揺れている意識に蹂躙され
声をあげて沖へ退く海がある
そこにたしかに
たしかに私は居る
居るのだろう
けれどもこの動かない私の意識はなんだ
動いているのは私かあなたか
言葉を発したのは私かあなたか

それでも今日
私にもあなたにも無関係に鳥が飛ぶ




http://ikkomsk.my.coocan.jp/


開店休業状態のHP。旅日記と詩をアップしたくて
10年ほど前につくった。
稚拙な「つくり」だが、気が向いたらぜひ。




俳句ブログランキング

«帷子耀「心中」